テレビとネットで「わかったつもり」

これは自分の反省も含めて気をつけたい話ですが、雑誌、テレビ、ネットで人や物や事件を知って、現物に触れていないのに「わかったつもり」になる事がここ10年で増えました。南の島タヒチに行かなくても「わかったつもり」。ウィーンフィルのコンサートもF1グランプリも行ってないけど「見たつもり」、名作文学はあらすじで「読んだつもり」。バイク事故の説明をきいて「わかったつもり」。精神科の薬「リタリン」問題もネットで斜め読みして「わかったつもり」…これで安心してしまうと、本物のこわさ、汚さ、暗黒面がわからないし、本物の感動にも会えません。本物の旅行に行くと、あこがれの芸術の都が犬のフンだらけで、巨大都市は地下鉄がいつもオシッコくさくて、一流ブランド店の並ぶ大通りはホームレスじいさんが「小銭くれ」と言い寄る危険な場所だった…と、夢を砕く現実に出会うのが現実ですし、本物の文学を読むと難解な漢字や難解な言い回しで行き詰まったり(僕だけ?)します。交通事故を体験したり戦場で銃弾を受けるという体験はめったにできないのですが、それにしても「知っているけど自分で触れたことのないモノ」と「自分の体で触れたモノ」はきちんと区別しておかないと、知識だけで頭でっかちの坊やになる危険性があるというのを最近何度か感じているのでした。(新聞テレビからの情報の真偽を見分けるというメディアリテラシーの話もこれに関係はするのですが、それはまた別の機会に書きたいなと思います。)(google earth でロシアの上空を飛びながらも「これは作り物だ!作り物だ!」と自分に言いきかせてますよ…わかったつもりになりそうな、楽しいgoogle earthです)

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